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東京地方裁判所 平成9年(ヨ)21030号 決定 1997年9月25日

債権者

二口達郎

右代理人弁護士

土井稔

債務者

株式会社シンアイ

右代表者代表取締役

新畑一雄

右代理人弁護士

遠藤直哉

田中秀一

主文

一  債務者は、債権者に対し、一七万八四八〇円を仮に支払え。

二  債権者のその余の申立てをいずれも却下する。

三  申立費用は、これを一〇分し、その一を債務者の負担とし、その余は債権者の負担とする。

事実及び理由

第一申立ての趣旨

一  地位保全

(主位的申立て)

債権者が債務者との間において、従業員たる地位にあることを仮に定める。

(予備的申立て)

債権者が債務者との間において、健康保険被保険者及び厚生年金被保険者たる地位にあることを仮に定める。

二  賃金仮払

(主位的申立て)

債務者は、債権者に対し、四七三万七一六三円及び平成九年八月二五日から本案判決確定に至るまで毎月末日限り五九万円を仮に支払え。

(予備的申立て)

債務者は、債権者に対し、四七三万七一六三円及び平成九年八月二五日から平成一〇年七月三一日に至るまで毎月末日限り五九万円を仮に支払え。

第二当事者の主張

債権者の主張は、賃金仮払処分命令申立書、平成九年三月七日付け準備書面(第一準備書面)、同月一一日付け(第二準備書面兼求釈明申立書)及び一九九七年三月二五日付け(第三準備書面兼求釈明申立書)各準備書面兼求釈明申立書、平成九年四月一五日付け(第四準備書面)、一九九七年五月六日付け(第五準備書面)、同月一三日付け(第六準備書面)、平成九年五月一三日付け(第七準備書面)平成九年六月一〇日付け(第八準備書面)及び一九九七年八月二五日付け(債権者第九準備書面)各準備書面に、債務者の主張は、答弁書、平成九年三月二五日付け(債務者第一準備書面)、同年四月一五日付け(同第二準備書面)、同年五月六日付け(同第三準備書面)、同月一三日付け(同第四準備書面)、同年六月一〇日付け(同第五準備書面)及び同年八月二五日付け(同第六準備書面)各準備書面にそれぞれ記載されたとおりであるから、ここにこれらを引用する。

第三当裁判所の判断

一  後掲の各疎明資料、当事者間に争いのない事実及び審尋の全趣旨を総合すれば、以下の各事実が一応認められる。

1  当事者等

(一) 債務者は、不動産の売買、仲介、賃貸及び管理を主たる業務内容とする会社である。

(二) 債権者は、昭和二三年生まれの男性であり、大学(政治経済学部経済学科)卒業後約二一年間予備校等の教育関係の職場において勤務しており、債務者に入社するまで不動産取引の経験は全くなかった。

(三) 債権者は、平成八年一〇月二五日、債務者において採用面接(以下「本件採用面接」という)を受け、同年一一月五日、債務者と雇用契約を締結した。債権者の賃金については、通勤手当以外の手当を含めた支給総額として月額五〇万円及び通勤手当を支給するとの合意が成立した。右五〇万円の内訳は、基本給四一万円、役職手当八万円及び家族手当一万円である(債務者の従業員就業規則(以下「就業規則」という)に基づく賃金規定(以下「賃金規定」という)七条、一〇条、一一条)。(書証略)

2  債権者の立場及びその上司関係

(一) 債権者は、債務者総務部人事課課長の職に付くという予定で採用され、総務部人事課に配属され、平成八年一一月一二日から就労を開始したが、就業規則四条一項に定める試用期間中であったことから、課長職の正式な辞令は発令されていなかった。債務者代表取締役新畑一雄(以下「社長」という)は、他の従業員に対し、債権者にはいずれ人事課の責任者になってもらう予定であると説明し、同人を紹介していた。(書証略)

(二) 債務者の総務部は、別紙のとおり人事課、経理課、会計課及び財務部に分かれている。そして、本間忠(以下「本間部長」という)が財務部部長であり、宮部龍一(以下「宮部部長」という)が、財務部以外の人事課、経理課及び会計課の部長を兼任し、更に、管理部における業務部部長を兼任していた。宮部部長は、業務部中心に業務を行っていたことから、実際には、本間部長が人事課部長の業務を行い、同部長が宮部部長と共に債権者の上司の立場にあった。(書証略)

3  他の従業員による債権者の評価等

(一) 債権者は、入社後債務者の新宿支店(但し、実際には本店としての機能を有している)において就労するようになったが、債務者総務部所属の従業員及び債務者の関連会社で債務者に出入りしている株式会社シンアイアートプランの従業員は、以下のような理由から、債権者に対し、入社後間もなく反感を持つようになった。(書証略)

(1) 債権者は、入社直後から、他の従業員を「おい」とか「お前」などと高圧的で人を見下した呼び方をし、時には「貴様」呼ばわりしたりする。

(2) 債務者では禁煙が原則であるのに、債権者は社内で喫煙をする上、くわえ煙草で両手をポケットに入れながら事務室や廊下を歩き回り、マナーが非常に悪い。

(3) 債権者は、大して仕事がない日には遅くまで債務者に残っているのに、仕事がたまっていて、人事課内で他の従業員が「今日は帰りが遅くなってしまうね」等と話していた日には、傍らでそれを聞いていながら、「パチンコに行くので、私は帰ります」と言って帰ってしまった。

(4) 債権者は、書かなければならない稟議書がたくさんあるのに一向に書かず、昔の稟議書を見てばかりいる。

(5) 債権者は、平成九年春に日本閣で実施する新卒者内定式の段取りの最後の詰めの仕事を担当するに当たり債務者が従来から採用している費用の精算方法を独自の考えで変更し、従業員から稟議を経た債務者従来の方法があることを指摘された際、「俺にはこんな細かい仕事はできないからお前がやれ」とか「頭悪いんだから俺の言うとおりにしろ、ばか」等と述べた上、机を叩いたり書類を従業員に投げつけた。

(6) 右以外の機会においても、債権者は他の従業員に対し「頭が悪い」とか「ばか。こんなこともできないのか」等と言ったり、机を叩いて怒ったり、ボールペンを投げる等の乱暴な言動を行う。その反面、債権者は社長の前では機嫌をとるような態度をとり、猫なで声を出す。

(二) 本間部長は、右のような苦情を従業員から相次いで受け、債権者に度々注意をしたが、態度は改まらなかった。他の従業員は、債権者を人事課の責任者として受け入れることができないと考えるようになり、総務部内の雰囲気は徐々に険悪化していった。債権者と他の総務部従業員とを仲直りさせ、関係を修繕するために、本間部長の取り計らいで、債権者及び総務部従業員全員での飲食の機会が設けられたことがあったが、その際、債権者が、予定時間を三〇分程度遅れて参加し、飲食を始めずに債権者を待っていたことについて詫び等を述べず、相変わらず高圧的な態度を示したりしたことから、功を奏しなかった。そして、その後も債権者の態度は変わらず、総務部の険悪な状況は続いた。総務部所属の原田康行等は、債権者が他の部署に異動することを望み、債権者がこのまま総務部に居続けるのであれば、自分が退職しようと考えるようになった。(書証略)

4  研修命令及び債権者の言動

(一) 債務者は、総務部内の険悪な人間関係の修復をはかるため、しばらくの間債権者を総務部から外すことが必要であると考え、またこの機会に、不動産取引に通じていない債権者に、債務者の業務である不動産取引の実態を経験させ、併せて債務者の従業員の大部分を占める営業部員の状況を債権者に具体的に知ってもらうのが妥当であると考え、債権者を営業部において研修させることを幹部会で決定した。そして、平成八年一二月四日、本間部長を通じて債権者に対し、当分の間、営業部で研修することを命じた(以下「本件研修命令」という)。これに対し債権者は、債務者の右の提案に応じるかどうかを、進退を含め翌五日に回答する旨を述べた。(書証略)

(二) 債権者は、平成八年一二月五日朝、本間部長に「肝臓が痛いので会社を休みたい」との電話連絡を入れ、「少しでも出社できないか」との本間部長の質問に対して、「全く出社できない」と答えると共に、「今後どうするかについては、体調が悪いので判断できていない」と述べて当日欠勤した。翌六日、債権者は、債務者に「起き上がることができない。今日は、病院に行くので出社できない」との電話連絡を入れて欠勤した。更に翌七日朝、債権者は、債務者に「肝不全とのことで体調が悪いので三時半に出社したい」との電話連絡を入れたが、同日午後一時半ころになって「今、ベッドの上から電話していて起きあがれないので、今日は出社できない。九日には何とか出社できると思う」との電話連絡を入れ、結局欠勤した。(書証略)

(三) 債権者は、平成八年一二月九日、債務者に出社するとすぐに本間部長を応接室に誘い入れ、同部長に対し、営業部配属となると賃金が下がってしまうことや、労働基準監督署に相談しようと考えており、弁護士にも相談しているが、債務者が債権者を会社都合による退職として扱ってくれるのであれば穏便に済ませたい旨を述べた。これに対し本間部長は、債務者は債権者に会社を辞めて欲しいとは考えていないこと、債権者には営業経験がないので営業部で研修して欲しいこと及び賃金については従来どおりの金額を支払うことを債権者に話した。両者の話し合いはつかず、そのうち、債権者が激昂して「帰る」と述べたため、本間部長が「帰る理由がないので無断欠勤となる」と言ったが、債権者はそのまま退社した。(書証略)

(四) 平成八年一二月一〇日、債権者は、債務者に出社するとすぐに本間部長を促して応接室に誘い、同部長に対し、債権者は債務者の禀議書等の重要書類のコピーを持っていること、債権者は日刊ゲンダイの副編集長を知っていること及び債権者は以前学校法人駿河台学園(以下「駿河台学園」という)に勤めていたとき週刊文春に同学園の記事が載りそうになったのを押さえたことがあることを話し始めた。本間部長は、前日の経緯からして、債権者が、債権者の要求を債務者が受け入れなければ日刊ゲンダイ等に債務者の機密資料を提供することを示唆しているものと理解した。債権者は、本間部長に対し、同部長では話しにならないので然るべき責任者を呼ぶよう要求し、本間部長が債務者常務取締役の高見善一郎(以下「高見常務」という)に相談した結果、同常務、本間部長及び債権者の三人で別室で話し合うこととなった。そのときの債権者の話の要旨は、<1>営業部での研修に応じる意思はない。人事・労務の仕事を続けさせて欲しい。債務者が本件研修命令を撤回しないのであれば、債務者を会社都合により退職させて欲しい。<2>債権者は、自己防衛のために、債務者の社会保険関係等の重要な部分及び稟議書の気になる部分をコピーして保管している。この行為が職務規律違反であることは十分承知している。これらの書類が問題のある書類であることを理解して欲しい。<3>債権者には日刊ゲンダイの副編集長をしている友人がいる。また、駿河台学園はスキャンダルまみれだったが、債権者は記事を押さえたことがある、というものであった。これに対し高見常務及び本間部長は、債務者としては債権者に研修として短期間営業に行って欲しいだけであり、会社都合による退職をしてくれとは言っていないとの債務者の意思を債権者に伝えると共に、債務者の書類のコピーを返還するように債権者に求めた。債権者は、書類については「返すのが当然ですから」と言いつつ、具体的な返還については曖昧にした。そして、債権者が自分の依頼した弁護士から債務者に連絡が入る旨を述べたので、債務者は、債権者が代理人を立てているのであれば、今後は代理人と話し合う旨述べ、この日の話し合いは終了した。この後、債権者は、仕事をせずに退社した。(書証略)

(五) 債権者は、平成八年一二月一一日朝、債務者に「今日は休む」と電話連絡を入れて欠勤し、翌一二日は連絡なく欠勤した。そして、債権者は、翌一三日朝債務者に出社したが、本間部長が不在であると分かると「本間部長が来たら自宅に電話するように」と従業員に伝言を依頼し、すぐに退社した。同日午後、本間部長が債権者宅に電話したが、誰も電話に出なかった。そして、翌一四日以降、債権者は何の連絡も入れないまま、全く出社しなくなった。(書証略)

(六) 平成九年一月二三日、弁護士である債権者代理人土井稔(以下「代理人土井」という)作成にかかる内容証明郵便が債務者に送達された。右内容証明郵便の内容は、債務者が平成八年一二月一一日以降債権者の出社を違法に拒否している等、本件で認定された事実と異なる事実を前提として、債務者に賃金の支払いを要求したものであり、これに対し債務者は、債権者が入社後出社しなくなるに至るまでの間の前記認定に沿った内容の事実経過を記載した上、「以上の経過を踏まえ、シンアイとしては、二口氏は自ら退職したものと考えておりました」と記載した「通知書」との表題のある平成九年一月三一日付け内容証明郵便(以下「本件通知書」という)を、同日、その代理人である弁護士遠藤直哉等を介し、東京都渋谷区桜丘町所在の代理人土井の所属する事務所宛てに、東京都千代田区霞が関に所在する東京高等裁判所内郵便局に差し出して送付した。(書証略)

5  履歴書及び職務経歴書における虚偽記載等

本件採用面接の際に債権者が宮部部長に提出した履歴書及び職務経歴書(書証略、以下「履歴書等」という)の記載並びに右面接の際債権著が行った説明には、以下のとおり真実に反する点が存在した。

(一) 履歴書等には、債権者は、「平成元年四月、学校法人・尚美学園(尚美学園短期大学、コンセルバトワール尚美専門学校、東京音響ビジネス専門学校を有す)に入職」し、「学園事務長として、総務、人事、教務を統括」したことが記載されており、債権者が尚美学園全体の事務長を務めていたとの表現が用いられていた。しかしながら実際には、債権者は、東京コンセルヴァトアール尚美(専門学校)の事務局事務長として勤務していたものであった。(書証略)

(二) 履歴書等には、債権者が平成二年三月に右学校法人尚美学園を退職し、同月駿河台学園に入社したとし、その理由として、尚美学園の赤松理事長と懇意であった駿河台学園の山崎理事長の招請に応じ、赤松理事長が譲った形で債権者が尚美学園から転籍出向して駿河台学園に入社した旨が記載されており、本件採用面接においても、債権者は宮部部長に対し、同様の説明を行った。しかしながら実際には、債権者が東京コンセルヴァトアール尚美を退職したのは平成二年一月三一日で、退職理由は自己都合退職であった。また、駿河台学園への入社は某人材センターからの照会によるものであり、尚美学園との関係からの採用ではなかった。(書証略)

(三) 債権者は、平成八年三月に駿河台学園を退職した理由について、本件採用面接時、宮部部長に対し、経営改善のために職員の人減らしを決めた立場上、自分も退職せざるを得ないと考えて退職した旨を説明した。しかしながら実際には、既婚者である債権者が、駿河台学園の女性従業員との関係をこじらせたことが原因で駿河台学園から退職を求められ、これに応じて同学園を退職したものであった。また、債権者は、平成八年三月、同女性従業員から、婚約破棄等に関し、不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を東京地方裁判所に提起されており、本件採用面接当時は、訴訟係属中の状態であった。(書証略)

(四) 履歴書等には、平成八年四月、日本大学経済学部菊池研究室において研究助手をしている旨が記載されていた。しかしながら実際には、日本大学経済学部には「研究助手」という制度はなく、研究室を不定期に訪れる債権者を、菊池教授が指導する程度であった。(書証略)

6  債務者は、平成九年九月四日、債権者の残業手当として、二五万六一七二円を、債権者指定の代理人土井の銀行口座に送金して支払った。(書証略)

7  就業規則には、以下の定めがある。(書証略、但し、関連規定のみ抜粋する)

(休日)

第一〇条 休日は次のとおりとする。

日曜日(営業部、火曜日)

夏季休暇 八月一〇日から八月一五日

年末年始休暇 一二月三〇日から一月五日

(配置転換及び出向)

第二五条 業務上必要がある場合は、従業員に対し就業場所もしくは従事する職務の変更又は出向を命ずることがある。

(服務の基本原則)

第二九条 従業員は、この規則に定めるものの他、業務上の指揮命令に従い、自己の業務に専念し、作業能率の向上に努めるとともに、たがいに協力して職場の秩序を維持しなければならない。

(服務心得)

第三〇条 従業員は、常に次の事項を守り服務に精励しなければならない。

四号 会社の業務上の機密及び会社の不利益となる事項を他に洩らさないこと(退職後においても同様である)

(欠勤の手続)

第三三条 従業員は、欠勤しようとするときは、事前に所属長へ届け出なければならない。ただし、やむを得ない事由により事前に申し出る余裕のない場合は、始業時刻までに電話等により届け出ること。

(懲戒解雇)

第四六条 次の各号の一に該当する場合は、懲戒解雇に処する。但し、情状によっては、通常の解雇又は減給もしくは出勤停止にとどめることがある。

一号 無届欠勤一四日以上に及んだとき

四号 重要な経歴をいつわり採用されたとき

七号 第二九条から第三七条まで、又は第三八条の規定に違反した場合であって、その事案が重篤なとき

八号 その他前各号に準ずる程度の不都合な行為を行ったとき

(退職)

第四八条 従業員が次の各号の一に該当するに至ったときは、その日を退職の日とし、従業員としての地位を失う。

三号 本人の都合により退職を届け出て会社の承認があったとき又は退職届け提出後、三〇日を経過したとき

8  賃金規定には、以下の定めがある。(書証略、但し、関連規定のみ抜粋する)

(賃金の構成)

第二条 賃金の構成は次のとおりとする。

<省略>

(賃金締切日及び支払日)

第三条一項 賃金は前月二一日から起算し、当月二〇日に締切って計算し末日(支払日が休日の場合はその前日)に支払う。但し、日雇者の賃金はその日に計算して支払う。

(賃金の計算方法)

第四条一項 遅延、早退、欠勤等により、所定勤務時間の全部又は一部を休業した場合において、その休業した時間に対応する基本給及び精皆勤手当を支給しない。但し、この規定又は就業規則に別段の定めのある場合はこの限りでない。

三項 一賃金締切期間における賃金の総額に一〇円未満の端数を生じた場合においては、これを一〇円に切り上げるものとする。

四項 賃金締切期間の中途において入社又は退社した者に対する当該締切期間における賃金は、日割で計算して支給するものとする。

9  なお、(書証略)(録音テープの反訳文)及び審尋の全趣旨により(書証略)の反訳の元となった録音テープであることが認められる(書証略)につき、債権者は、右録音テープにおいて債権者とされる人物は自分のことを「俺」と呼んでいるが、債権者は自分のことを「俺」とは呼ばないとして、録音テープに収録されているのが債権者の声であることを否定し、また録音テープを早送りで再生すると頭出機能が働くので編集が加えられた可能性があるとして、両疎明資料の本件関連性を否定している。しかしながら、債権者が自分のことを「俺」という場合もあったことを、債務者従業員や債務者に出入りのあった関連会社従業員の多数の者が述べており(書証略)、また、(書証略)において録音されているのが債権者の声であることについても、債務者内外の者が確認している(書証略)。そして、右両疎明資料は平成八年一二月一〇日の出来事についての録音及びその反訳文として提出されているところ、(書証略)債務者代理人である弁護士田中秀一が本件申立てのなされた平成九年二月一〇日の二か月程前の平成八年一二月一〇日当日か同日過ぎころ、本間部長から「相談したいことがある」との電話連絡を受け、同月一三日同部長と会った際、同部長から預かり保管していたものであり(書証略)、保管に至る経緯に不自然な点はなく、保管の前後において録音テープに編集が加えられた可能性を窺わせるような事情もなく、その内容の点からしても債権者と高見常務及び本間部長との間において行われた会話であることにつき何ら不自然な点は存しない。更に、審尋の全趣旨によれば、頭出機能は一定時間(短時間)一定の音量以上の音が絶えると働く機能であり、全員が一瞬沈黙して会話が一時途切れたり、音声が極めて小さくしか録音されていないときにも働くものであって、会話を録音したテープにおいて頭出機能が働いても不自然な状態ではないことが一応認められるから、仮に録音テープを早送りで再生した場合に頭出機能が働いたからといって、直ちにその録音テープに編集が加えられていることにもならない。そうすると、(書証略)は当時の債権者ら三名の会話を録音したものであり、(書証略)はこれを正確に反訳した書面と認められ、いずれも本件との関連性を肯定することができ、十分信用性があると認められる。また、(書証略)(いずれも債権者作成の陳述書)の前記認定に反する部分は、事実認定上採用した各疎明資料及び審尋の全趣旨に徴して信用性が薄く、直ちに採用できない。

二  債務者は、平成八年一二月四日から同月一三日までの間の債権者の全体的な言動、あるいはこれらの言動に加えて同月一四日以降、債務者に何の連絡もして来なかった債権者の態度をもって、債権者が債務者に対し、債務者を退職することについての黙示の意思表示を行ったものであるとし、債権者・債務者間の雇用契約関係の終了を主張するので、この点について検討する。

前記認定にかかる事実関係に基づき、債権者の置かれていた状況並びに同人の平成八年一二月四日以降の言動及び出勤状況等を考察すると、以下のとおり認めることができる。すなわち、<1>債権者は、長期間教育関係の職場において勤務しており、債務者のような不動産関係は初めて経験する分野であったところ、平成八年一一月一二日の就労開始後間もなく人事課を含む総務部の多数の従業員等の反感を買い、これらの者から受け入れられない状況となっていたこと、<2>債権者には、少なくとも平成八年一二月一〇日の段階まで本件研修命令に従う意思がなく、その後、本件通知書到達に至るまで、債権者の右の気持ちが変化したことを窺わせる事情も存しないこと、<3>債権者は、平成八年一二月一〇日、高見常務等に対し、債務者の社会保険関係等の重要な部分等を職務規律違反と知りつつコピーして保管している旨述べると共に、これらを新聞社等に提供する意思がある旨示唆した発言をすることによって、債務者との雇用契約上の信頼関係を根本的に破壊すると共に、今後、重要書類の取扱いを業務内容とする人事課等債権者の希望する総務部の部所に債権者が配属される可能性を決定的に喪失させ、もって、債権者は、債権者の債務者における就労を一層困難にする言動を自ら行っていること、<4>債権者は、本件研修命令の発令された平成八年一二月四日、本間部長に対し、研修命令に従うか否かを「進退を含め」て回答する旨を述べた他、同月九日、同部長に対し、債務者が債権者を会社都合による退職として扱うことを依頼し、同月一〇日にも、高見常務等に対し、会社都合により退職させて欲しいと述べていることからして、債権者には、このころから債務者を退職する意思があったと認められること、<5>債権者は、本件研修命令発令の翌日である平成八年一二月五日から同月七日まで欠勤し(債権者は、当時、債務者に対し、病気を理由に欠勤する旨の連絡を入れているが、本件において、債権者が右の期間、病気であったことを疎明する資料はない)、同月九日及び一〇日は出社しても就労せず、同月一一日及び翌一二日は欠勤し、一三日は出社後伝言を依頼しただけで退社し、同月一四日以降は無断欠勤が続いているのであり、これらの出勤状態からすれば、債権者は、平成八年一二月五日以降、債務者において就労する意思を喪失していると認められること、<6>債権者には、無断欠勤、経歴詐称、本件研修命令拒否及び服務心得違反等により懲戒事由(就業規則二五条、二九条、三〇条四号、三三条、四六条一号・四号・七号・八号)に該当する可能性のある事由が多数存在していたこと、以上の状況が認められる。

このように、債権者が、債務者において就労を続けることが実際上困難な状況にあって、平成八年一二月四日以降、前記のとおりの言動を行い、出勤態度を示したことからすれば、債権者は、右一連の言動や不就労及び欠勤等の態度をもって、明示、黙示に債務者に対し、合意退職の申込みをなしたものと認められる。そして、債務者が代理人土井に対し「シンアイとしては、二口氏は自ら退職したものと考えておりました」との記載のある、債権者の退職を認容する趣旨を記載した本件通知書を送付したことによって、債務者が右退職の申込みを承諾した事実を認めることができる(なお、債権者から退職に関して要望の出された平成八年一二月一〇日の話し合いにおいて、債権者と高見常務等との間で、今後は代理人を通じて話し合うことを合意したと認められる前掲の経緯に照らせば、代理人土井は、債務者による退職承認の意思表示を受領する代理権限を有していたことが推認される)。

以上のとおりであるから、本件通知書が代理人土井に送達された日をもって、債権者は、債務者との合意により、債務者を退職したことが認められる(就業規則四八条三号)。また、本件通知書は、平成九年一月三一日(金曜日)に、東京都千代田区霞が関所在の東京高等裁判所内郵便局から東京都渋谷区桜丘町所在の代理人土井の所属する事務所宛てに発送されたものであることに鑑みれば、遅くとも同年二月三日(月曜日)には、同事務所に送達されたと推認される。

三  以上を前提に、債権者の被保全権利の有無につき判断する。

1  地位保全について

右のとおり、債権者は、遅くとも平成九年二月三日をもって債務者を退職したことが認められるので、主位的申立ては理由がない。また、健康保険被保険者及び厚生年金被保険者たる地位の得喪は、雇用契約上の地位の得喪に応じるものであるから(健康保険法一三条、一七条、一八条、厚生年金保険法六条、九条、一三条、一四条)、雇用契約上の地位が認められない以上、予備的申立ても理由がない。

2  賃金仮払について

債権者は、主位的申立てとして、<1>平成八年一二月五日から平成九年七月分までの月例賃金五九万円(基本給五〇万円、役職手当八万円、家族手当一万円)の合計四四八万〇九九一円、<2>残業手当二五万六一七二円、<3>平成九年八月二五日以降本案判決確定に至るまで、月額五九万円の賃金の各仮払いを求めているので、以下、右各債権の有無及び金額につき、順次検討する。

(一) <1>(平成八年一二月五日から平成九年七月分までの月例賃金五九万円(基本給五〇万円、役職手当八万円、家族手当一万円)の合計四四八万〇九九一円)について

(1) 債権者の月例賃金の内容は、基本給四一万円、役職手当八万円及び家族手当一万円の合計五〇万円であり、債権者・債務者間の雇用契約関係は、平成八年一二月五日から平成九年二月三日までの間存続していたものである。また、賃金には基本給、精皆勤手当の他、各種手当等が含まれる(賃金規定二条)ところ、同規定四条一項は、「遅延、早退、欠勤等により、所定勤務時間の全部又は一部を休業した場合において、その休業した時間に対応する基本給及び精皆勤手当を支給しない」として、この場合に支給しない賃金を基本給及び精皆勤手当に限定する文言を用いていること及び賃金規定全体の趣旨からすれば、同規定四条一項は、欠勤等により所定勤務時間の全部又は一部を休業した場合、基本給及び精勤手当については、その休業した時間に対応する分は支給しないこととするが、役職手当及び家族手当については支給する趣旨と理解できる。そこで、就業規則一〇条、賃金規定三条一項、四条三項・四項に従い、右の期間に対応する債権者の役職手当及び家族手当を計算すると、次のとおりとなる。

ア 平成八年一二月分(一二月五日から同月二〇日までの分)

役職手当 四万三〇八〇円

(計算式)八万円×一四日/二六日=四万三〇八〇円(但し、一〇円未満切り上げ)

家族手当 五三九〇円

(計算式)一万円×一四日/二六日=五三九〇円(〃)

イ 平成九年一月分(平成八年一二月二一日から平成九年一月二〇日までの分)

役職手当 八万円

家族手当 一万円

ウ 平成九年二月分(平成九年一月二一日から同年二月三日までの分)

役職手当 三万五五六〇円

(計算式)八万円×一二/二七=三万五五六〇円(〃)

家族手当 四四五〇円

(計算式)一万円×一二/二七=四四五〇円(〃)

合計一七万八四八〇円

(2) 平成九年二月四日以降は雇用契約関係が存在しないのであるから、同日以降の債権者の債務者に対する賃金請求権は発生しない。

(二) <2>(残業手当二五万六一七二円)について

右の残業手当については、既に平成九年九月四日の弁済により、債権が消滅していることが認められる。

(三) <3>(平成九年八月二五日以降本案判決確定に至るまでの賃金月額五九万円)について

債権者・債務者間の雇用契約関係は、平成九年二月三日付けをもって終了したことが認められるので、平成九年八月二五日以降の債権者の賃金請求権は発生しない。

(四) 以上のとおり、債権者は、債務者に対し、合計一七万八四八〇円の賃金請求権を有していることが認められる。

四  保全の必要性について

疎明資料(書証略)によれば、右の一七万八四八〇円全額について保全の必要性が認められる。

五  総括

以上のとおりであるから、本件申立ては、債務者に対して一七万八四八〇円の仮払いをさせる限度において理由が認められ、事案の性質上、債権者に担保を立てさせず、主文のとおり決定する。

(裁判官 合田智子)

別紙(略)

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